はじめての田植え体験 ― お米のありがたみとこれからのこと
先週末、岩手にある妻の実家で田植えのお手伝いをしてきました。
毎年、美味しいお米をありがたくいただいていたのですが、
実は、田植えに関わるのは今回が初めての経験でした。
お米づくりの現場に立ち会いながら、
育てる人の努力や段取りの多さ、自然との付き合い方を肌で感じ、
「食べる」ということの背景にある重みをあらためて考えるきっかけになりました。
お米があるのに、スーパーにない
最近では、お米がスーパーに並ばないという状況が続いています。
物流の問題か、需給のズレか、はっきりした理由はわかりませんが、
現場ではちゃんとお米が作られていることをこの目で見た今、
ますますその不思議さを感じています。
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お米が「ない」のではない。
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届けられていない、流れていないだけではないか。
そう思えてなりません。
高齢化する農業と、これから
妻の両親は長年、田んぼを守り続けてきました。
けれど、年齢とともに作業の負担も大きくなってきています。
田植えも稲刈りも、たとえ機械があっても体力と経験が必要です。
「あと何年続けられるかなあ」
ふとした義父の言葉に、現実の重みを感じました。
自分ができることは限られていますが、
だからこそ、少しでも手伝いたい。
そんな思いが、今年はじめて形になりました。
自分で作って食べるということ
私たち家族は、妻の実家からいただいたお米や野菜を日々いただいています。
買えばすぐ手に入る時代に、自分たちで育て、収穫し、食べるということは、
あらためて考えると、何にも代えがたい豊かさだと思います。
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田植えを見て食卓が変わる
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苗がごはんになるという時間の流れ
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「いただきます」の意味が深まる
そんな実感を、これからも子どもたちにも伝えていきたいです。
未来に向けて
日本の農業は今、転換点にあります。
担い手の高齢化、輸入への依存、気候の変動……
それでも、毎年こうして田植えが行われ、
秋にはちゃんと実りがある。
「足るを知る」――
今あるものを大切にし、自分にできることから始める。
このシンプルな姿勢が、未来の食や暮らしを支える基盤になるのではないでしょうか。
最後に――
自分にできることから、少しずつ。
土に近づき、食べ物の原点にふれることで、
私たちの暮らしも、きっと豊かになっていくはずです。
もし今、お米のことで困っている方がいたら、
どうぞ遠慮なくご相談ください。
分け合える喜びや支え合いの輪が、これからの時代にこそ必要だと感じています。
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